『有田と週刊プロレスと』 Season2 No.020 ~”プライド”をかけて!髙田延彦vsヒクソン・グレイシー!≪後編≫~

ヒクソン・グレーシーとの闘いへ

ゲストはプロレス大好きビビる大木、週刊プロレスは1997年10月26日号。

Season2 No.019の続きで、格闘技プロレス、Uインター、そして高田延彦とヒクソン・グレイシーの闘い、つまちPRIDEについて語られる。

その内容をちょびっとご紹介。

遠いヒクソン・グレイシー戦

最強の看板を掲げるUインター高田は、ヒクソン・グレイシーとの闘いを望みながらも、自身がトップを務めるUインターの経営を回し、メンバーを食わすことに奔走する。

1994年12月に門下生の安生洋二がブラジルのヒクソン道場に殴りこんだが返り討ちにあう(Season1 No.20)が、その敵討ちもできず、1995年10月には伝説の『10.9東京ドーム』(Season1 No.0102)で武藤に負け、1996年1月4日には武藤と再戦して勝利し第18代IWGPヘビー級王者となり、その後も越中史郎や橋本真也、天龍源一郎等とも対戦するが経営はカツカツで抜け出せない。そして既に高齢だが有名なブッチャーとの対戦なども行うのであるが、最強を掲げる高田の望んだもの状況からは程遠い。

正に背に腹は代えられない状況から抜け出せない時期が続いてしまうのであるが、その努力むなしく、Uインターは1996年12月27日後楽園ホールで解散する。

自由になった高田

Uインターのメンバーで『キングダム』という団体を立ち上げるが、そこに高田の名前はない。興行を見に行っても、いはするが試合はせずにスパーリングのようなものを見せるだけ。

何故なんだと思っていたら、他の人には迷惑を掛けまいと団体に所属することもなく、高田はずっと実現できなかったヒクソン・グレイシーとの闘いに向けて準備していたのである。やっぱり男の中の男は高田である。

そしてついにヒクソン・グレイシー戦が決まり、ファンは狂喜する。

「最強である俺たちの高田が、ついにヒクソン・グレイシーを退治する」と。

運命のヒクソン・グレイシー戦

1997年10月11日、『PRIDE.1』で運命のヒクソン・グレイシー戦が開催される。

個人で闘いに臨んだにもかかわらず、セコンドにはUインターのメンバーが駆けつける。

ルールは5分12R、つまりは60分で設定され、完全に実力勝負。

世界中の格闘技関係者が注目した世紀の一戦・・・その結果は、1ラウンド(4分40秒)でヒクソン・グレイシーの腕ひしぎ逆十字が決まり、高田はタップをしてあっさり負けてしまう。

ファンはこの事態を呑み込めず、しばらく絶句し、その場から動けなくなってしまうくらい絶望感を感じ、会場から家まで歩いて帰る人が続出したらしい。

ただ、1回きりの予定だったPRIDEはその後2.3.4と続くことになり、RIZINなどにもつながっていく。まさに、この試合が日本の総合格闘技の幕開けとなったのである。

なお、後日談として、試合後に高田はシャワールームで号泣していたことや、ヒクソン・グレイシーというプレッシャーに押しつぶされそうになるまでに追い込まれていたことや、アントニオ猪木が「まあプロレス界で一番弱い奴が出ていったので、そりゃ負けますよ」と、プロレスが弱いわけではないというコメントを残したことしたとのことが紹介された。

試合観戦記

〇 1997年10月11日、『PRIDE.1』 高田延彦 vs ヒクソングレイシー