
ポカしたわけではないが…
放送日は2017年10月11日、ゲストは引き続き小峠。有田に渡される週刊プロレスは1992年12月8日号(No.526)。
なぜか派手なペイントをしている硬派の佐々木健介!!その理由はなんだ?
その内容をちょびっとご紹介。
なんかパッとしない若手時代
藤波に噛みつき有名になり大活躍をしていた長州力に憧れ、その弟子となった佐々木健介。
同世代のライバルは華々しいデビューをした馳浩。大局的に、佐々木健介はコツコツと地道に努力を重ねていた。
そんな佐々木に海外修行のチャンスが舞い降りる。プロレスの世界では、海外から凱旋帰国してスター選手になるという路線があるのだ。
そして、ついに海外から呼び戻される日が来た。スター選手としてメインを任される時が来た・・・と思ったら、同日に同じように海外から戻ってきた武藤敬司がいきなりメインのタイトルマッチ。佐々木健介は第4試合目くらいで目立たない凱旋試合が組まれただけだった。
マジメな佐々木健介が・・・
インタビューもいつも「〇〇かもしれない、〇〇かもしれない、でも〇〇だけ」というワンパターンの回答(この有田のモノマネが修逸)をする、不器用さが目立つ佐々木健介。
そんなマジメな佐々木健介にまさかの事態が起こる。
1992年11月23日、ウォリアーズのアニマルとコンビを解消したホーク・ウォリアーに声をかけられた佐々木健介が、まさかのパワー・ウォリアーとしてデビューしたのだ。
相手は長州力と馳浩。結果は、3分で圧勝する。その後も、新日の中で存在感を発揮する。
その後、2002年に新日と喧嘩して出ていった長州力に義理堅くついていき、さらには自分の事務所を立ち上げ、最後は自分の弟子と闘ったあとに引退を宣言。本当になんの興行もせず、復活をすることもせずに、そのまま引退した。
マジメな人だ。
試合観戦記
〇1993年1月4日 (画像をクリック)
IWGPタッグ選手権試合 パワー・ウォリアー&ホーク・ウォリアー VS スコット・スタイナー&リック・スタイナー

瞬殺を成し遂げた長州力・馳浩戦は何故かなかった・・・残念。
ただ、外国人に交じって変わらぬパワフルな試合を展開する佐々木健介はすごい