『有田と週刊プロレスと』 Season2 No.011 ~プロレス界きってのトラブルメーカー!?ブロディ、謎のボイコット事件!~

ありえない駄々っ子ぶりのブロディ

放送日は2017年10月14日、ゲストはなんだかんだ聞き上手の小峠。有田に渡される週刊プロレスは1985年12月31日号(No.125)。

今回は問題児ブロディについてとり上げるSeason2 No.004の続きとなる回。

その内容をちょびっとご紹介。

主役で目立たないと許せないブロディ

1984年に長州が新日から全日に電撃移籍し、全日が盛り上がった。主役じゃないと嫌なブロディは、それを不服として1985年3月に全日から新日に逆に移籍。

そして、新日の1985年12月『IWGPタッグ・リーグ戦』の決勝で問題を起こす。

なぜだ!?ブロディー

決勝の当日に、ブロディとタッグパートナーのジミー・スヌーカは仙台で試合があったにもかかわらず、何故か新幹線で東京に帰ってしまう。前代未聞の事件に周囲は唖然&怒り心頭!!

決勝でなぜだ?何が起こった?

理由は未だに明確になっていないが、一つはお金の問題、もう一つは新日に新たなスター選手を作る動きが引き金となったとの噂があるらしい。

ちなみに、代わりに猪木&坂口vs藤波&木村の試合が行われたが、初めて藤波がドラゴンスープレックスで猪木からフォール勝ちした名試合だったらしい。

ボイコットしたブロディのその後の扱い

このようなボイコットを起こした選手はふつうは使われないが、また事件を起こす。

新日がブロディの試合放棄を許し、UWFを立ち上げた前田日明との試合を1986年11月に組んだのだ。

ブロディとしてはありがたい話だが、それを何故かブロディはまたボイコットしてしまう。

これで完全に終わったかに思われた。

が、そうではなかった。

今度は「絶対に裏切った奴は許さない、試合に使うこともない」というポリシーを持つ馬場が、ファンが見たい試合を実現することに考えが変わりだしたのだ。

結果、馬場はブロディを許して全日に呼び戻し、夢のような好カードを組んだのだ。

ブロディは馬場に恩義を感じ、文句を言わずに一生懸命試合に取り組みだし、改心したかに見えた。

ただ、その後、最後の大事件を起こしてしまう。

それはまた別のおはなし。

試合観戦記

〇1985年11月29日 (画像をクリック)
 IWGPタッグリーグ公式戦 アントニオ猪木&坂口征二 VS ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ

この次の決勝をボイコットしたと思われる。

感想としては、ブロディはやっぱりでかいし強い。街中で出くわしたら、意味なく遠ざかるだろう。
試合も盛り上がるし、人気があった理由もよくわかる。