
まさかの対決が実現‼言い続ければ叶う
放送日は2017年9月27日、ゲストは引き続き小峠。有田に渡される週刊プロレスは2000年8月15日号。
絶対あり得なかった長州と大仁田の試合が実現。そこに至るまでの流れを有田が熱く語る。
その内容をちょびっとご紹介。
大仁田厚の若手時代
大仁田厚は1974年に16歳でデビューし、その後の海外遠征で1982年にはNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を獲得し、日本に凱旋帰国した。が、膝の怪我が思わしくなく、大仁田はひっそりと引退したのだが、やはりプロレスがしたいと、おもちゃ箱をひっくり返したようなプロレス(邪道)を目指しとインディーズの“FMW”という団体を立ち上げる。(Season1 No.005をご覧ください)
様々なことを試すが、その中でも『ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ』が凄まじい迫力だったこともあり大ヒット。
試合後のマイクパフォーマンスもあって、大仁田はカリスマ性を帯びていく。
長州力に絡み続ける大仁田
一方、新日は世代交代が進み、長州力は引退して現場監督(裏方)となっていく。プロレスの王道を行く長州力は、邪道を嫌っていたとのことで、格闘技プロレスのUWFはもとより、インディーズも毛嫌いしていたらしい。「俺の前でインディーズの話はやめろ」というほどに・・・。
それに噛みついたのが大仁田。果たし状をもって、長州に絡んでいく。長州は対戦を断ったが、大仁田に人気があったことから佐々木健介や蝶野正洋、グレート・ムタなどと対戦を重ねていく。
真鍋アナウンサーと絡むよくわからない『大仁田劇場』も展開しながら、しつこく引退した長州に「対戦しろ」と絡み続けた。
遂に長州力と対戦
その結果、長州はついに大仁田との対戦を決心した。
やるといっているにも関わらず、ちょこちょこ絡んでくる大仁田に「跨ぐなよ~」事件があったり(これは本編&試合動画を見てください)するが、最後には電流爆破デスマッチのルールを承諾して遂に対戦する。
試合内容は長州力が勝ったのだが、その内容は試合動画をご覧あれ。短時間だが、壮絶で見応えあり。
試合後、大怪我をおって救急車に運び込まれる大仁田と真鍋アナウンサーの絡みのある『大仁田劇場』を真似する『有田劇場』はなおのこと面白い。
試合観戦記
〇2000年7月30日 ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ『長州力VS大仁田厚』 ↓NJPW WORLD 動画 クリック

短時間だけど面白い。電流爆破と大仁田の電流の使い方がすごい。「跨ぐなよ」事件もみることができます。残念ながら大仁田劇場はありません。