
有田の中でのベスト興行
放送日は2017年8月23日、ゲストはノブシコブシの吉村。有田に渡された週刊プロレスは1990年2月24日号(No.363)。
ベストバウトなどが世の中にはあるが、有田にとって、この大会はベスト興行とのこと。しかも本大会を生を見ていたらしい。
この奇跡の対抗戦をなんと3話に渡って語る。
その内容をちょびっとご紹介。
夢のオールスター戦
1970年代、新日と全日の関係性は、一昔前の吉本と松竹芸能が共演することが基本的になかったように、両者の間には“ベルリンの壁”があったらしい。
互いが互いを意識して、同じような大会を展開し、かぶせあうような競い合いをしていた。
そのような中、新聞でプロレスを扱っている東スポが主催し、オールスター戦が1979年に実現した。ジャイアント馬場&アントニオ猪木(BI砲) vs ブッチャー&タイガー・ジェット・シンのような試合が開催された。試合後、猪木は馬場にマイクパフォーマンスで今後の対戦を呼び掛けるなどしたが、馬場から良い返事は得られず、ピリピリとした関係は継続する。
引き抜き合戦勃発
1980年代には、猪木が念願のIWGPを設立し、そこに現れた目玉選手がなんと全日のブッチャーだった。新日が引き抜いたのである。
これに激怒したのが馬場である。タイガー・ジェット・シンを引き抜き返したのである。
さらに新日は、全日のNo.2ジャンボ鶴田を引き抜きにかかったという噂が・・・さらに馬場は激怒!!今度はスタンハンセンが新日から全日に移籍。
最期には収拾がつかなくなり、「引き抜き防止協定」を締結し、互いに手を出さないことを約束するが、当然ピリピリ感は継続した。
そうして、ここから更なる展開を迎える。それはまた、次の回で。
試合観戦記
〇1979年8月26日 プロレス夢のオールスター戦
ジャイアント馬場&アントニオ猪木(BI砲)vsブッチャー&タイガー・ジェット・シン

私が生まれる前の年に、本当にタッグを組んで闘ったとは・・・。