
問題児外国人名レスラー
放送日は2017年8月16日、ゲストは引き続き劇団ひとり。有田に渡される週刊プロレスは1985年4月9日号(No.87)。
この回は劇団ひとりとの最初のゴルフトークが修逸!!それはさておき、今回はチェーンをもったスーツ姿の外国人レスラー ブロディーについて語る。
その内容をちょびっとご紹介。
ブロディーが問題児化した背景
新日はタイガーマスクが引退し、長州力は子分を引き連れて全日に行き、これはやばいと次なる手としてキン肉マンを登場させようとしたが権利の問題で許可がおりず(・・・ホンマかいな)、仕方なくストロングマシンを登場させ、でもUWFも立ち上げられてしまって前田日明も藤原組長もいなくなってと、完全にピンチを迎えていた。
一方の全日は、もともと有名な外国人選手と闘う華のあるスタイルであり、さらにスター選手も揃って盛り上がっていた。
そのような中、元からいたメンバーで、全日を盛り上げていたブロディーにとっては、長州を筆頭とするター選手が入ってくることが面白くなかった。俺こそが花形の選手であると・・・
ブロディーが禁断の新日移籍
そのような中、1985/3/9にタッグ戦で全日に移った長州とブロディが両国国技館で激突した・・・が、ブロディは長州の技をまともに受けずに、あしらうような形で圧倒してしまい、つまらない試合にしてしまう。
このような試合を実施したブロディーは当然全日で怒られてしまったが・・・後日、新日の試合でベートーベンの運命の曲とともにスーツを着たブロディーが登場したのである。
「猪木の目にバーニング・スピリッツ(闘魂)を見た」と新日に移籍し、猪木との戦いを始めて盛り上げたのである。
その中でも、初戦は未だに語り継がれる名勝負だったとのこと、これは観なければ・・・。
その後のブロディー
新日で活躍したブロディー(有田はトップ3に入るくらい素晴らしい外国人レスラーと評価)だが、その後に新日は息を吹き返し、ブロディは全日で感じた「花形の俺がいるのに、なんで俺じゃダメなんだ!?あぁ?」という状況になってしまったブロディーは再び・・・。
そうして、最終的には悲しい人生の終わりを迎えてしまう・・・が、これはまた別の話で語られる。
試合観戦記
〇1985年4月18日 両国国技館 『猪木vsブロディ』

左腕を負傷している猪木を遠慮なく攻め続けるブロディー。劣勢だった猪木はブロディーの右足を集中的に攻撃し、逆転を狙う。互いが様々な技を繰り出し、そして最後には・・・意外な結果が。