
両国国技館がエライことに・・・
放送日は2017年8月2日、ゲストは引き続き劇団ひとり。有田に渡される週刊プロレスは1987年12月15日号(No.235)。
1987年11月19日の顔面襲撃事件(Seazon1 No.023)で長期離脱した長州力、12月27日には復帰戦として『猪木vs長州』が組まれる。それに加え、「TPG」たけし軍団がプロレスに殴り込みをする。
その内容をちょびっとご紹介。
当時のプロレスにバラエティはタブーだった
プロレスの人気が下降気味になったため、バラエティ(お笑い関係)とのコラボの企画が組まれる。
例えば、プロレスの黒歴史らしいが、1987年4~9月には、『ギブUPまで待てない‼ワールドプロレスリング』という、山田邦子が司会するプロレス番組を試してみた。
ところが、軽いノリの番組に対して、「プロレスをバカにするな」というような苦情が殺到し、視聴率が更に低迷する。
このスタイルは半年もせずに終了。硬派で変化を好まないプロレス村の感覚が発動したのだろう。
そこに、企画としてたけし軍団が関わっていくのである。
1987年12月27日 長州力が復帰して猪木と戦うはずが…
当日は、『藤波&木村 vs ビックバン・ベイダー&マサ斎藤』、そして当然メインとして『アントニオ猪木vs長州力』が行われるはずだった。
その『藤波&木村 vs ビックバン・ベイダー&マサ斎藤』の試合が始まる前に、ビートたけしが率いるTPG(たけし軍団)が登場する。
たけしの登場で盛り上がると思いきや、なんと、会場からは「帰れよ‼」というヤジが飛ぶ事態に。
さらに、たけし軍団から「猪木さん、俺たちが連れてきたビッグバン・ベイダーと闘ってくださいよ‼前からの約束でしょ‼」との主張。
それに対して、猪木はまさかの「受けてやるよ‼いいですか、皆さん‼」との回答…
観客は「ダメに決まってんじゃん。猪木と長州を見に来たのだから…」と思っていたのに、『藤波&木村 vs 長州力&マサ斎藤』の試合が始まってしまう。
有田曰く「この試合ほど悲しい試合はなかった」という状況に陥ってしまう。
藤波と長州と言えば、ファンなら見てみたい好カードであるにも関わらず、ずっとヤジを言われ続け、モノが投げ込まれる事態になってしまう。
この試合は長州が勝つが、客の怒りはおさまらない。
そこで、急遽、長州が猪木にそのまま試合を挑み、時間無制限の一本勝負が実現するが、猪木がナックルパンチをお見舞いし、血まみれになって負けてしまう。そこへ、馳が心配して助けに入ってしまい、長州はあまりいいところを見せることができないまま、反則負けになってしまう。
その後、猪木とビックバン・ベイダーが対決するが、猪木が勝てばまだ面白みがあったが、猪木は一方的な展開で、本当にいいところなく負けてしまう。
この一連のグダグダに観客は大激怒‼両国国技館のアチコチを観客が破壊し、プロレスの歴史上で最大級の暴動になってしまう。結果、新日は1年2か月にわたり、日本相撲協会から両国国技館の使用を禁止され、多額の損害賠償を請求される。
これが「TPG事件」。その後、たけし軍団はプロレスの世界からは自然消滅。
徐々に人気が薄れていくプロレス村に、第3社がますます手を出しにくくなった歴史の一部なのかもしれない。
試合観戦記
〇1987年12月27日 一連の試合

まず、マサ斎藤、猪木、藤波が何か色々言っているが、ほとんど理解できず、カードが変更になってしまった経緯がよくわからん。これがまず問題。
しかし、観客の怒りがもうすごい‼
「帰れ‼」「やめろ‼」コールが終始鳴り響き、モノが投げ込まれまくっている。
試合が正直頭に入って来ない。なんか、不憫。
しかも、タッグマッチが終了後、長州がマイクでアピールするが、これまた何を言ってるか本当にわからん。アナウンサーも「なんて言っているか聞き取れませんでした」と言っている…まあ、大体そうか。
ただ、観客はなんとなくわかったのか、大盛り上がりするが、そのあとはタイミング悪く控室に交代で帰っちゃうなどグダグダ。試合もグダグダ。
う~ん、色々とあかん。怒るのも無理はない。