
プロレスvs空手の抗争
放送日は2017年5月10日、ゲストは武井壮が再登場。週刊プロレスは、1992年2月18日号(No.479)。
Season1の最終回である。表紙は血を流している空手の道着を着た人が写っている。
なぜ空手?
その内容をちょびっとご紹介。
抗争の発端は控室
誠心会館という道場を立ち上げた空手家プロレスラーの青柳政司が、新日のリングに上がった時に、空手の門下生である斎藤彰俊が控室にあいさつに来た。
その時に斎藤に絡んだのが小林邦昭。タイガーマスクのライバルでもあり、マスクを脱がそうとしたことで有名な人だ。
斎藤が控室のドアを閉め忘れたという話で、小林が激昂し、楽屋でぶん殴ったとのこと・・・めっちゃ怖いやん。
斎藤は小林邦昭に暴行されたことをリング上で言い、プロレスのリングで決着をつけさせろと言う。
ただ、当時の現場監督の長州は、そんな裏で起こった喧嘩みたいなことを、正式な試合にはできないとのことで、特別に全試合終了後だったらOKということになった。
プロレスvs空手抗争の勃発
1992年1月30日に、小林vs斎藤が闘い、斎藤がレフェリーストップ勝ち!!
観客はその試合をみて「ゾクゾクした、体の震えが止まらなかった」と大興奮!!
これは1回では終わらず、抗争はヒートアップしていく。
最後は道場の看板をかけて小林と斎藤が闘い、小林が勝ち、看板は小林に渡ってしまう。そのことには、小林も斎藤を認める中になり、看板も返すような仲になる。
仲良くなったはずなのに・・・
その後、仲良くなった小林や越中は、誠心会館の興行に参加するが、新日は無断で会ったことを問題視し、新日本の選手会の会長と副会長だった越中と小林を解任した。
ありゃりゃ。
二人は怒って選手会を脱退し、青柳・斎藤・木村健吾たちと反選手会同盟を立ち上げた。
ありゃりゃりゃ。
ただ、その同盟はどんどん大きくなり、1993年には平成維震軍を結成する。そして自主興行を行うまでになる。
その後、斎藤はNOAHに所属し、活躍する。また、三沢の最期の対戦相手にもなった。
試合観戦記
〇1992年『プロレスvs空手』
1992年1月30日 小林邦昭vs斎藤彰俊 (ニコニコ動画)
この動画は画質は悪いが見たほうがいい。
試合内容もさることながら、セコンドや観客も激熱!!
最期は全員で大乱闘!!もう訳が分からん(笑)

