
橋本真也 ZERO-ONE立ち上げ
放送日は2017年4月19日、ゲストは宮澤佐江。週刊プロレスは、2001年3月20日号(No.1022)。
週刊プロレスの表紙には、破壊王橋本真也が写っている。ZEROーONEの立ち上げについて語るとのこと。
『コラコラ問答』の橋本真也がどのようなプロレス人生を送ったのか、その一部を有田が語る。
その内容をちょびっとご紹介。
橋本真也の因縁の男『小川直也』
橋本真也の最大の因縁の男と言えば『小川直也』だ。
新日本プロレスの動画サイトで、何故かその試合が掲載されていない不穏試合(1999年1.4 Season1 No.013,014参照)や落ち目気味でもあったプロレス業界の中ですさまじい視聴率を誇った、負けたら即引退の対戦相手(2000年4月7日)であったり、その後にタッグを組んだ親友でもある。
正に、親友と書いて、ライバルとも読むような感じだろうか。
ZERO-ONEの立ち上げへ
なぜ橋本真也がZERO-ONEを立ち上げることになったかと言えば、小川直也との即引退試合で負けたものの、世間の要望によりプロレス界に復活したことから始まった。
復活後に存在感をみせたい橋本は、その当時抗争を繰り広げていた新日と全日の闘いに割って入るのではなく、全日と決裂したNOAH(三沢光晴)との対決を、新日の中に団体を作って実現しようとした。
たぶん色々と配慮して進めていたと思われるが、新日は「せっかく上手く全日とやっているのに、それは全日への裏切り行為になるからやっぱりダメ!!」と橋本真也を解雇してしまった。
そうして橋本は自分で「ZERO-ONE」を立ち上げた。
ZERO-ONEがムーブメントを起こす
その立ち上げ戦は、「橋本真也・永田裕志vs三沢光晴・秋山準」のカード、つまりは、元新日の闘魂三銃士と元全日の四天王が対戦するという、それまではあり得ないカードだった。
さらに、立ち上げした橋本真也を支援したのが因縁の『小川直也』。ZERO-ONEの大会に登場し、三沢にも喧嘩を売るなど、ZERO-ONEが絡んだムーブメントが起こり、大いに盛り上がる。
そして、2001年4月18日には、 ZERO-ONE 日本武道館で『小川直也・村上一成vs三沢光晴・力皇猛』という試合が実現してしまう。
有田は、この試合はめちゃくちゃ面白いので1年に1回は観ているとのこと。
一度敗れて引退した一人の男が、復活後に組織を離れ、新団体を立ち上げ、会場を満員にするようなことをやってのけたのである…痛快な話だ。
試合観戦記
〇2000年4月7日 『橋本真也34歳、小川直也に負けたら即引退!スペシャル』
新日本プロレスワールドにはなかった・・・そして色々と探したが見つからなかった。う~ん、みたい!!
〇2001年4月18日 『小川直也・村上一成vs三沢光晴・力皇猛』
小川と村上は格闘技的な闘い方で殴るわ蹴るわ、三沢もエルボーで応酬。
最後は3連続の…で、〇〇がフォール勝ち。
これは観る限りガチの闘い。
でも、三沢は言ったらしい。「このような試合は、技術とか魅せるとかなく、気の向くまま闘えばよく、頭を使わなくていいから楽だ」。
プロレスの本質は、ガチの潰しあいを超えたところにあるのだろう。