『有田と週刊プロレスと』 Season1 No.016~第2次UWFの光と影!男たちが織り成す人間ドラマの結末とは!?~

格闘技プロレスの歴史

放送日は2017年3月8日、ゲストは水道橋博士。週刊プロレスは、1990年12月18日号(No.411)。

前田日明が立ち上げた中心の格闘技プロレス団体『第2次UWF』について、今回は有田と昔からのプロレス大ファン水道橋博士が語りつくす。

その内容をちょびっとご紹介。

第1次UWF

第1次のUWFの設立経緯はややこしいので割愛するが、1984年に旗揚げし、前田日明を中心に、ロープワークの廃止や逃れることのできない関節技を本気で決めに行く、など格闘技色の強い試合を展開する。

ただ、一部のファンが熱狂したものの、興行収益が芳しくなく、第1次UWFは新日本プロレスに出戻ることになる。

その後、『前田顔面蹴撃事件』(前田日明が長州への不意打ちで顔面蹴りを食らわせて全治1か月のけがを負わせる)とことに端をはっして、新日を契約解除されたことをきっかけに第2次UWFを立ち上げる。

第2次UWFの立ち上げと解散

新日での前田日明の露出により、格闘技プロレスを支持するファンが増えており、第2次UWFはブームを迎える。

さらに、藤原組長や船木誠勝、鈴木みのるも加入し、更なる盛り上がりを見せたが、順風満帆とはいかなかった。

前田日明が、UWFの経営トップである神社長が不正経理、つまりはお金を使い込んでいる旨を発言をしたのである。(使い込みはわからないが、前田日明よりも神社長の給料は実際高かったらしい)

激怒した神社長は前田日明を出場停止処分にしたが、長野県松本市での興業の時に、選手たちが出場停止中の前田をリングに呼び出し、結束を高める万歳のパフォーマンスをした。

つまりは、悪いのは経営陣(神社長)であり、俺たちは結束して対抗するという意思表明をしたのである。

ブチ切れた神社長は、選手たち全員を解雇したことにより、第2次UWFは思わぬ幕引きをすることになる。

解散後

その後、前田日明はメンバーを自宅のマンションに集め、「俺を信頼してついてきてくれるか?」と意思確認をしたところ、安生洋二や宮戸優光が「いや、全面的にはちょっと…」のような発言をしたらしい。

兄貴分の前田日明はカチンときて「一人でも反対するのであればもういい!!」と言って、そのまま解散した。

そのマンションからの帰り道、色々なメンバー間の駆け引きもあり、高田延彦をトップとした『Uインター』、藤原喜明をトップとした『藤原組』、前田日明の『リングス』に分裂する。

実は、前田は『WOWWOW』での放映権を握っており、まあ前田日明についていけば、潤沢な資金の下で、格闘技プロレスを展開できたのである。

もし、松本で結束したメンバー全員で第3次UWFを立ち上げることができていれば、後々のグレイシー一族との闘いにも影響したかもしれない。個人的には、「せっかくの豪華メンバーと資金が…もったいない」とやはり思ってしまう。

ある意味、大きく歴史が動いた分岐点だったのである。

試合観戦記

〇1990年12月1日『第2次UWF最終興行 松本』

例の結束の万歳はエンディングで観ることができる。