
全日本プロレスの歴史
放送日は2017年2月8日、ゲストは引き続きアンガールズの田中。有田に渡される週刊プロレスは2000年7月18日号(No.986)。
天龍と川田の再開が表紙。そこに至るまでの全日本プロレスの歴史を有田が語る。
その内容をちょびっとご紹介。
ボラの高い全日本プロレスの歴史
全日本プロレスはボラ(ボラティリティ)が高い。つまり、大きく隆盛と衰退を頻繁に繰り返している。
全日本プロレスはプロレス界を制覇したともいえる全盛時代があった。
ジャイアント馬場にジャンボ鶴田・天龍源一郎が外国人レスラーを相手に繰り広げているところに、長州軍団が新日本プロレスから移籍し、2代目タイガーマスク(三沢光晴)も現れ、最高の盛り上がりを見せていた。
ただ、その後長州軍団が新日本プロレスに戻ってしまい、衰退したかに見えたが、そこからSeason1 No.004で紹介した『ジャンボ鶴田vs天龍源一郎』の“鶴龍対決”に突入。
鶴龍対決後、天龍源一郎はSWSへ移籍。全日本と天龍との間に確執ができてしまう。
その後、ジャイアント馬場とジャンボ鶴田も亡くなってしまい、ベテランがいなくなった全日はもうダメかと思われたが、三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太が奮起して盛り上げ、四天王時代に突入する。
天龍源一郎と川田利明の再会
その後、社長をしていた三沢が、人間関係のトラブルで全日を脱退し、Noahを立ち上げた。
全日本プロレスは、田上・小橋などの主力がNoahに移籍してしまい、川田他数名を残すのみという危機的な状況に陥る。
そこに手を差し伸べたのは天龍源一郎だった。
そうして、あり得ないと思われていた天龍源一郎と全日に残り続けた川田が再開したのであった。
試合観戦記
動画を探したがなかった。全日の動画は見つけにくい。
ただ、ジャイアント馬場の奥様の元子夫人がボロボロになった全日に、天龍源一郎が戻ったことを紹介した際の動画がありました。
観客の盛り上がり方が半端ないです。
〇2000年7月2日『元子夫人 マイクパフォーマンス?』
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