『有田と週刊プロレスと』 Season1 No.004 ~宿命の”鶴龍”対決を大熱弁!天龍の名言「○!#%@」とは!?~

鶴龍対決勃発!!全日 ジャンボ鶴田 vs 天龍源一郎

放送日は2016年12月14日、ゲストは引き続き綾部祐二。有田に渡される週刊プロレスは1987年9月15日号(No.222)。

今回は全日本プロレスの歴史の前半がわかる回。私もまだ7歳で記憶があるわけはないが、この時代にそんなに熱い闘いが繰り広げられていようとは・・・。

過去最強レスラー説のある『ジャンボ鶴田』と、最近バラエティでよく登場するすごく滑舌の悪い『天龍源一郎』の日本のプロレス界におけつ重要な一戦、そしてそれに至るまでの歴史を有田が熱く語ってくれる。

その内容をちょびっとご紹介。

全日本プロレスの初期

全日本プロレスは、ジャイアント馬場が作ったプロレスの王道を行く団体。日本人レスラーが外国人レスラーと戦うのが基本。

当初は、『G馬場』と絶対的エースかつ最強レスラーと呼び声の高い『ジャンボ鶴田』が主力だったが、『G馬場』が一線を退き始めると、大相撲出身の『天龍源一郎』が『ジャンボ鶴田』とタッグを組んで試合に出始め、大先輩の下で腕を磨き、主力と化していく。

やってきた黒船『長州力』

そんな時(1984年)、新日を離脱して、後輩たちを引き連れてやってきた黒船が『長州力』。外からやってきた長州たちに噛みついたのが天龍。天龍と長州はガツガツに闘い、全日ではあまりやってこなかった日本人対決を繰り広げる。

この時、全日は大盛り上がり!!


ちなみにこの二人は『ライバル』と書いて『親友(とも)』と読むような仲になり、その後も良好な関係が継続し、今でもバラエティに仲良く出ている。

一方、長州力を失った新日のトップ『アントニオ猪木』は窮していたはずだが、その時に名言?捨て台詞?悪態?を放つ。それを有田が再現してくれますが、これがもう爆笑!!猪木の人間性がよくわかります。

ところが1987年、その長州力はたった3年で新日にまた戻ってしまう。(何がしたかったのだ、長州?)

鶴龍(かくりゅう)対決のスタート

長州がいなくなり、盛り上がりに欠けだした全日本。まずい状況だったが、ジャンボ鶴田は長州が乗り込んできたときと同じでどこ吹く風のマイペース。

そもそもジャンボ鶴田は、絶対的エースかつ最強レスラーであるにも関わらず、サラリーマンレスラーとも言われていたらしい。言われた仕事を文句も言わず、質高くこなしていくタイプだったのこと。(こんな部下が1人は欲しい)

反対に『熱さ』で生きている天龍源一郎は、危機感のない大先輩のジャンボ鶴田に業を煮やし、絡み、ついには天龍同盟を結成してジャンボ鶴田と対決。

その第1発目が1987年の『8.31』。なんとその試合で、天龍は最強レスラーJ鶴田に直接対決で勝利するという歴史的な一戦を繰り広げる。

“鶴龍対決”はその後も日本の各地で繰り広げられ、1990年まで続く。

なんと、有田は、「プロレスの歴史の中で一番面白かった試合は何か?」と聞かれると、この“鶴龍対決”を上げるとのことです。(8.31の試合ではないようなことを言っていましたので、7戦したうちのどれか一つの試合かもしれませんが…)

ここまで言われると見てみたくなるじゃないか、この“鶴龍対決”を!!

試合観戦記

この回で紹介されていたのは、繰り返しになるが、1987年8月31日の『ジャンボ鶴田vs天龍源一郎』。

残念ながら、8.31はネットでいろいろと捜しましたが見つからず…。(誰か知っていたら教えてください)

ちなみに、この鶴龍対決、第1戦と第5戦はその年のプロレス大賞のベストバウト(年間最高試合)に選ばれているとのこと。

第1戦 1987年8月31日 日本武道館 勝者:天龍
第2戦 1987年10月6日 日本武道館 勝者:天龍


第3戦 1988年10月28日 横浜文化体育館 勝者:鶴田

第4戦 1989年4月20日 大阪府立体育会館 勝者:鶴田

第5戦 1989年6月5日 日本武道館 勝者:天龍

第6戦 1989年10月11日 横浜文化体育館 勝者:鶴田

第7戦 1990年4月19日 横浜文化体育館 勝者:鶴田


結果、4勝3敗で鶴田が勝ち越したが…そのような単純な対決でもなかったよう。